後悔のない生き方って難しい

まだ家事ができていた頃は、仕事終わりに飲みに行ったり遊んだり休日もそんなことしてたけど、今にして思うと動けていた頃こそ一緒に過ごす時間を持てばよかったと思う。もちろん毎日、毎週そんなことしていたわけじゃないけど、やっぱり自分のそういうところばかり思い出す。

息抜きって言いながら時短勤務なことをいいことに都合よく遊んでただけじゃないの?

 

ああいう風になってまで生きたくないって言っていた状態に今なっていて、病院はもちろん最善を尽くす(という姿勢)、家族は少しでも長く一緒にいたいって思うけど、じゃあ本人はどうなんだろう。会話は噛み合わなくなってきて、痛いしか言えなくなって、トイレも行けなくなって、そのうち会話もできなくなって、それでも生かされてて本人はどう思っているんだろう。そこに本人の尊厳?ってあるんだろうか。本人がそれを嫌だ言ったとしても周りが聞くのは難しいことなんだけど。

 

学生の頃までは親子仲が良いわけではなかったけど、こんな人だったなって思い出すのはいい所ばかりなんだよな。ユーモアがあって子供らしい性格だった。おどけたりとか。こういうの病気になって自分に余裕がなくなっても変わらないの。酸素マスク自分で外しちゃって「あっ!」って言ったら、はっとした顔でこっちを見たり(よくふざけてこういう表情してた)、痛くて転げ回ってるのに「また明日」って言うと「まったねー」「明日も待ってるぜー」(棒読み)て手をぶんぶん振ったり。

小学生の時とか階段登ってるとなぜか後ろからカンチョーして追いかけてくんの。怖くていつも後ろにいるって分かると駆け上がってた。やられてたの小学生までだったと思うけど、今でも後ろにいると肛門きゅってして急いで階段上る癖ある。

変な歌うたったり、唐突に踊りだしたり、これは完全に私と兄ちゃんに遺伝したな。

 

日々感謝することのハードルが低くなっていく。今日は体調がよくて良かった。今日は少し話ができた。今日は呼びかけに反応した。今はもう生きているだけで良い。